■ブラウニー開店から(1983~)

1983年「Clifford Brown」に影響を受けた中富マスターが彼の愛称を店名にした「Browny」がオープン。

 

(マスターが語る当時の心境)

 当時の親不孝通りには、個性的な店が多く、どの店にも主張がありました。新参者の私はとても魅力的に映り、ジャズが似合うようにも感じていました。

 特別ジャズに対して造詣が深いわけでもない、うんちくを語れるわけでもない、二十代の若造が、ジャズ喫茶のマスターということになるということは、何を血迷ったか、という感じでした。

 もちろん、ジャズは大好きで、当時1500枚くらいのアルバムを持っていました。「開店の勢い」というやつで、以前から持っていたJBLのスピーカーに 合わせて,マッキントッシュのアンプなど「優れ物」のオーディオを揃え、来店されるお客様に軽くジャズを聴いてもらうつもりでした。

創業当時の外観
創業当時の外観
創業当時の激ヤセマスター(でも情熱は人一倍)
創業当時の激ヤセマスター(でも情熱は人一倍)

九州大学ジャズ研究会のみなさん。
九州大学ジャズ研究会のみなさん。
後に「Live at Browny」発売することになる吉岡秀晃との出会い。 その後現在まで交友を深める。 マスターの体重は1.5倍?(創業当時比較)
後に「Live at Browny」発売することになる吉岡秀晃との出会い。 その後現在まで交友を深める。 マスターの体重は1.5倍?(創業当時比較)

創業当時から閉店まで変わらなかった出入口のステンドグラス。
創業当時から閉店まで変わらなかった出入口のステンドグラス。
ブラウニー開店当時の看板。 写真は酔っ払い等に蹴られるなどして壊された時の為の予備。 結局使わないままでした。
ブラウニー開店当時の看板。 写真は酔っ払い等に蹴られるなどして壊された時の為の予備。 結局使わないままでした。